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ある教育論

2016/07/20

この仕事が好きなのはこんなところだ。

まだ若い彼らが
「可能性」という名前の「カベ」にぶつかって、もがき苦しんでいるところに
私がたまたま通りかかって
そのがんじがらめの
「教育」という名前の縄を
「そんな縄なんか最初からどこにもなかったのさ」
と、言いながらほどいてやる。

それでもまだもがいているようならば
なんでもいいから言葉をかけてやって
相手が安心してくれるのを
ただひたすらに待つ。

この
「待つ」という作業が
自分の仕事であるように
最近では自覚している。

「その、待つってのがなかなかできないんですよねえ」
と、保護者の方々は皆さんそうおっしゃる。

ぼくはそのたびに、
「それは親子だからですよ。血が、親子の絆がそれを許しちゃくれないんです。ぼくは他人だから、そういったことが簡単にできるんですよ。だからぼくがここにいるんです」
と、答えている。

「待つこと」とは、実を言うと
「厳しさ」に他ならない。

言葉をいくらでもかけてやることは
それがどんな「叱咤」であろうとも
愛情なのである。

だから彼らはいつも安心して
それに「すがってしまう」のだ。

ぼくが彼らに対して無関心を装う。

いいや、

理解しようとして理解できない
「他人である大人のひとり」として
そこにいるだけだ。

大人が自分の方を見ていないことは
彼らに、ちょっとだけ不安をかきたてる。

やがて観念したように
ひとりで答えを導き出そうとする彼ら。

そこからあとは
坂道を転げ落ちるがごとく
エンピツがもうとまらない。

思考の連綿と化した彼らは
もうぼくにも、誰にも、止められない。

そして、誰かになにかを言われずとも
すべて自分で答えを導き出すのだ。

自主性の塊となる彼らが、そこにいる。

それが、いつも我々の教室で行われていることなのである。

みなさん
教育を、知識を「与えること」だと勘違いしてませんか?

教育とは
「究極の引き算」なのです。

自転車にひとりで乗せようとして
あなたは
補助輪を何個もつけますか?

それとも
うしろからそっとはずしてやりますか?

自主性を身につけること、
そのメソッドを我々は持っています。

ヒサオ'

右が最初に出した「大逆転の中学受験国語」で、読み物中心。左はそのマンガバージョンで、国語メソッド中心のつくりに徹した。東京本部校にて右が最初に出した「大逆転の中学受験国語」で、読み物中心。
左はそのマンガバージョンで、国語メソッド中心のつくりに徹した。東京本部校にて。

(※当記事は過去にブログなどに掲載し反響を呼んだものを厳選して再掲しています。時間表記は掲載当時のままとなっています。)

この記事を書いた人

山本 ヒサオ'
山本 ヒサオ'
1969年生。
本名、山本尚志 (やまもと ひさし)。
東京学芸大学芸術文化課程書道専攻卒。
在学中から高校生に「入試に勝たせるための」英語学習法を確立することを決意。
大手個別指導塾の教室長勤務ののち’95独立。
現在まで「個別指導ジール」山本ヒサオ'塾長として、十数年間広島と日本各地で個別指導を実施。
著書に'06.4.「ヒサオ'の英語」(南々社)、'07.7.「秘伝のセンター英語」(エール出版社)がある。

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